Staff #13「桜」

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2025/04/05 11:00

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みなさま、お久しぶりです。Staffです。

 

 

陽気とまだ少し残る冬の肌寒さが感じられる季節になって、一生四季が感じられる人間でいたいとつくづく思うここ最近。桜を見ると春だと感じ、暑さを感じて夏をくらい、落ち着いてきたと思えば秋、そんなのも束の間で冬が襲ってくる。「くらう」「襲ってくる」などと書いたものの、やっぱり四季の移ろいがあって、それを定義だとか概念だとかそんなものではなく、肌や全身で感じることができるのって、生きているんだなぁと実感させてくる(良い意味でも悪い意味でも)。夜寝る時につい先日まで暖房をつけていたかと思えばエアコンなどいらないと感じるようになり、かと思えばきっとまたすぐ冷房が必要になるのだろう。どんどん気温が上がっていて、すぐ暑いと感じたり、暑い暑いと言っていたらいつのまにかカイロが必需品になっている(僕は手に持っているのが面倒なのでカイロが好きじゃないのだが、他の人が持っていると触りたくなるのは毎年恒例)。

 

それはそうと、なぜ桜を見ると皆口を揃えてきれいだと言うのか。ずっと考えているものの、桜を目の前にすると、どうやって綺麗に写真を撮ろうかと考えることに精一杯。見るときは何本もの集合として綺麗だと感じ、写真になると数輪をいかに桜らしく撮れるかを考えてしまう。自分だけかもしれないが、これがある意味自己流の桜の楽しみ方なのかもしれない。

 

春=「桜」という、日本人が(日本人だけじゃないと思うが…)植物にこれほど感動する季節が、僕は一番美しいと思う。春特有の、まるで大草原のど真ん中で気持ち良い風に吹かれているかのような(この説明もまた僕の中では正確ではないのだが…)、あのなんとも言えないすんだ感情は、一生言語化できる自信もなければ言語化すべきではないのかもしれない。気持ち良い気温と風からくるものなのか。別れと新たな出会いに胸を躍らせていることからくるものなのか。年度が変わって新しいものが増えることへの楽しみからくるものなのか。自分でも分からないから、表現のしようもない。この感情が自分固有のものなのか、はたまた皆が持っている「ひと」のものなのか。こうやって文字に起こしたところで結論が出ると思っていたわけではない。案の定、結論が出たわけじゃない。

僕が見たものと、他人が見たものが違うのは当たり前だし、同じ道を歩いていたところで違う方向を向いていれば同じものは見ていない。十人十色という言葉があるように、人間が何億人もいるなら、何億色もの感情があるはず。そう思えば、自分の感情もそのうちの一色であって、誰かと同じ色にする必要もないのかもしれない。

 

 

 

 

 

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